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前回、統帥権という言葉を使いました。
明治憲法制定当前夜、この統帥権というものの所在は非常に曖昧なものでした。
当時の国軍とも言うべきものはその実、薩長土肥の諸藩が朝廷に差し出した、御親兵〔献兵とも呼ばれ、近衛と後に呼ばれました〕のみであり、そもそもなぜ集められたかといえば、版籍奉還と廃藩置県に伴い予測されうる各地の反乱を未然に防ぐためのもので、また反乱の神輿に祭り上げられないように、各諸侯は東京に集められるという周到さをもって廃藩置県は行われました。
この近衛が近代日本軍のもとになったものように思えますが、近代軍隊組織にとって致命的なことに、統帥権の所在が近衛自身には浸透していなかったかのように思えます、なぜこのような自体が起こってしまっていたのかということを、次回はある人物を補助線して述べたいと思います。
次回に続く。
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